齊藤 瑛子 のすべての投稿

Will – Can – Must

働くということについては、ずーっと考えてきていて、もはやライフワークになりつつあります。

自分の仕事の状況を、以下の3要素に分けて変遷を考えてみました。
・Will    :  やりたいこと
・Can    :  できること
・Must :  やらなければならないこと

上記の考え方は一般的(※)なようですが、これからの自分の表し方が正しいのかは、正直わからんです。

(※)若手社員だった頃の会社の研修でも、この3要素の話は出てきました。

私が働き始めたころの、状況は以下のような感じ。(図1)
仕事は激務で有名な部署で非常にキツかったですが、3要素のANDが取れる部分はあって、今考えると恵まれていたなと。
ただし、その後Mustの部分が肥大していき、心身が明らかにもたなくなってきたので、半ば逃げるように、無理矢理状況を変えてみました。

重なり有り

その後の状況が、以下のような感じ。(図2)

全く重なり無し

私のやるべき仕事(Must)は、私のやりたいことでもなければ、それまでの私のスキルは何一つ役に立たないという、非常にしぶい状況になりました。
逃げるというのは、まあ、どうしようもない状況だから逃げるのであって、図1の仕事から逃げたのは致し方ないのですが、逃げることはそれなりの代償を要求されるなあというのが個人的な感想です。

図2の時は、大げさな言い方をすると生きる屍というか、全く活力のない木偶人形のようでしたが、諦めの境地に達した(あるいは、自暴自棄?)時、ひょんなことから仕事が変わることになりました。

そして、今の自分の状態はこんな感じ。↓(図3)

will重なり無し 図2のときより、気持ちとしては、だいぶマシになりました。Can とMustがある程度重なり合わないと、自己否定が強くなるので、精神的にきつくなる(図2のとき)のですが、図3では、Can と Mustがある程度重なっているので、だいぶ心穏やかになりました。

しかし、そうなると欲が出てきてしまいました。Willの要素も欲しくなってきちゃうんですね。
自分の諸事情を考えて、「これは致し方なし。世間の人たちは、Willを我慢して、こういう状況を受け入れて働いている人の方が多いのだから。これ以上求めるのは贅沢だ。」と自分に言い聞かせて日々働いているところではあります。

私はこれまで、「職場の人間関係に悩まされて仕事を変わらざるをえなかった。」とか、「会社の業績不振で早期退職を半ば強要された。」とか、そういうことはなかったので、自分自身で書いていて、しみじみ自分は甘ちゃんだなと思いました。(図2の時なんて、使い物にならないのに、ほんとよくお給料もらってたなと思います。甘すぎ。)

甘ちゃんなのは、重々承知の上で、でもやっぱり、どうやってWill – Can – Mustの三つの輪を重ね合わせていくか、これからも考えていくんだろうなと思います。
でも、図2の時よりはずっとマシです。気持ち的には前向きですね。こんな風になれるなんて、3年ほど前には想像できなかったです。

よかった、よかった。

 

急騰器

“給湯器”という物を思い浮かべたとき、脳内の漢字変換が”急騰器”となってしまい、「これはさすがに違う。」と自分で感じても、しばらく正しい漢字が思い出せませんでした。

かなり、まずいと思う。

漢字変換だけでなく、だいぶ以前から「この歳で、このボケっぷりはまずかろう。」ということが、それはもう何度もあり。

そんなこんなで、以下の本を今読んでいるところです。
フリーズする脳―思考が止まる、言葉に詰まる (著者:築山 節)

読んでいると、思いあたるフシがありすぎて、怖いくらいです。
でも逆に、「私以外にも、こういうことで悩んでいる人が多いんだ・・・。」という驚き兼ちょっとした安堵感もありました。

でも安心してる場合ではなく、本当にまずいと思う。自分が自分でなくなってくる気がして、かなりの恐怖感あります。
“フリーズする脳” を読んだ後は、同著者の以下の本も読む予定です。
脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める

 

Caetano Veloso, Maria Gadú “Odara”

前回の記事で、カエターノ・ヴェローゾの曲 “Odara” について触れましたが、YoutubeのVEVOのチャンネルで、アルバム “Caetano Veloso“ の中の”Odara”に近いものを見つけました!(他のアルバムにも収録されていますが、同じ曲でもだいぶ雰囲気が異なります)

それが、こちら。カエターノ・ヴェローゾとマリア・ガドゥのデュエット。
Caetano Veloso, Maria Gadú – Odara  (Youtube)

ここ数年、ブラジル音楽から遠ざかっていたので、マリア・ガドゥという新星が現れていたなんて、知りませんでした。かなり浦島太郎状態です。

そして、カエターノの色々な曲を改めて聞き直したい。

カエターノ・ヴェローゾ紙ジャケSHM-CDコレクション

カエターノ・ヴェローゾ紙ジャケSHM-CDコレクション
ううう。こんなものが出ていたのか。それも3年も前に!
頑張って揃えようかな-。上のリンクのサイトを見ているだけで、興奮して血圧が上がりそうです。私は普段低血圧ですが。

Caetano Veloso(カエターノ・ヴェローゾ)はブラジルのミュージシャンで、私が大学時代にMPB(Música Popular Brasileira)に、はまったきっかけは、友人が貸してくれたCaetano Velosoのアルバム “Caetano Veloso“(※)。借りたのは確か19歳の時。
アルバム全体として素晴らしいですが、その中の”Odara”という曲が、私にとってはとにかく衝撃的でした。

(※)こちらのリンクは紙ジャケかプラケースかは不明。インポート商品です。

おすすめの曲、CDの記事も色々と書いていきたいですね。

“彼女のいる彼氏”がくらげバンチで出張連載らしい

私が今おすすめしている漫画 “彼女のいる彼氏”が、
くらげバンチで10月16日から出張連載だそうです。

いまいち、出張連載の正しい意味を理解できていないけど、今までバックナンバーはROLAのアプリでしか読めなかったけど、これからはくらげバンチのサイト上でも順次読めるようになるってことでしょうか。

Webブラウザで読めるならば、嬉しい!
(ROLAアプリは異常終了が・・・(以下略)))

 

とりあえず

絵をさらすぞと書いたので、私のお得意の有言不実行にならないように、最近絵を描き始めたとき(今夏)の絵をとりあえず一枚。

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Perfumeの、のっちです。

かしゆか→あ~ちゃん→のっちと描いていって、もっとも残念じゃないのを選びました。
全く似てないけど・・・。前髪があった時代の方が好きなので、そちらを描きました。

スキャナ読み込みですらなく、タブレットで撮影。
手描きのイラストをスキャナで読み込んでの、各種調整も、これから身につけなければ。(でも、手間を増やすと、絵をさらさなくなる可能性大)

それ以前に、下書き投稿を脱出したい。

絵を描いたのも、クロッキーブックとかですらなく、”じゆうちょう”ですよ!
息子のノートを買うときに、ついでに買ったノートです。

P_20151009_225516

初めてさらす絵をかなり適当にアップしたので、これでこれからの絵のアップへのハードルは、限りなく低くなる・・・はず。

 

描くということ

昔々の話です。

高校生くらいまでは、イラスト的なものを描いてました。大学生になって、描くことからやや遠ざかっていましたが、昔イラストを描いてた&また描きたいと思っているという話をした友人が、ショートストーリーを書いて、渡してくれました。

私がそのストーリーに対して、挿し絵というかイメージイラストを描くことになったわけです。頑張って描きました。着色までいかず、鉛筆の下絵まででしたが、さあ、カラーインクで線を描こうという手前までは、描きました。

その時、改めて自分の絵を見てみると…。イケてない構図、稚拙な描きっぷり。私は恥ずかしくて、「こんなものは見せられない」と、ストーリーを書いてくれた友人に、絵を見せることはありませんでした。

それがずっと自分としては、しこりになっていて、描くことを止めてました。なぜ、下手でも描き上げなかったんだろうか?友人に見せなかったんだろうか?

まあ、自意識過剰で、ショボい自分を見せるのが怖かっただけなんですが、その代償として、好きだった描くことから、しばらく完全に遠ざかることになりました。

そして、さんざん歳を食った今、下手くそでもイケてなくても、やっぱり描こうかと。誰も喜ばなくても、こっそり描いて、ひっそりと誰かの目に触れる可能性のあるところに、描いた絵を置いておこうと思います。

今や、作り手さんがあふれる中、ウブなこと書いてて小っ恥ずかしいですが、言い訳を書いておかないことには、進めない心持ちだったので、ご勘弁を。

 

一年ほど前から

元々私は、長生きしたいという願望は特に無く、「子供が成人する頃までは生きてないとな」と自分の責務として思ってたくらいでした。

が、一年ほど前から、「長生きしよう。そして、死ぬ間際まで、できるだけ健康でいよう。」と、突如思い始めました。

自分でもびっくり。

自堕落な人間なので、優等生健康マニアにはなれないけれど、自分の心身の健康を意識するようになって、色々と気づきがありました。そんなこともこれから書こうと思います。

 

少しずつにじりよる

ずーっとやりたいと思っているテーマがあるのに、時間的な制約や、自分の能力不足を言い訳に、取り組んでこなかったのだけれど、「イチかゼロ」か、つまり「がっつりやるか、全くやらないか」の二択でしか考えていないのが、誤りなのだ。きっと。

自分のやりたいことをやらないで、やらなければならないことだけをやっていると、次第に気持ちの元気が無くなってくる。
少しずつ、少しずつ、自分のやりたいテーマに、にじりよっていかないと。

今後の目算も、ましてや勝算なんてあるわけもなく。
でも、やっぱり少しずつやっていこう。何もやってないよりはマシだ。
少なくともゼロじゃない。

もう少し違う画像を

このアイキャッチ画像を、ヘッダー画像にも使用しているのですが(2015年10月9日現在)、もう少し違う画像を使おうと思いつつ、なかなか変えられないでいます。

この写真は、以前、旅行中にタブレットで撮影したものですが、早朝の爽やかな感じというよりは、どことなくもの悲しげな様子が気に入っています。
ただ、表示する機器によっては、やたらに暗く表示されるんですよね・・・。

写真を撮るのは下手なので、うまくは撮れなくても、自分が好きだと思える写真を少しずつ撮っていけるようになりたいものです。